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ツキ板の歴史

 ツキ板をほかの板類に貼り合せることは、エジプト文化時代に当時の指導階級が、その手廻り品や家具・椅子などに用いたことがピラミッド内の遺品などに残っているといわれ、さらにバビロニア、アッシリア時代からギリシャ、ローマ時代においても王朝の家具、壁面などにツキ板貼りしたものが用いられている。中国では紀元前からツキ板貼りの工芸品が作られており、わが国では奈良時代に工芸品が発達しツキ板貼工芸品が作られ、正倉院の宝物の中にツキ板貼りの手箱がみられる。

  

 これらのツキ板貼りの手法は初めは象牙式の小物のものに限られていた。たとえば箱根細工などこれにあたる。明治34年(1901年)頃に贈物の鶏卵箱として板紙に桐のツキ板を貼ったものがあり、このころからツキ板もやや大きい形となってきた。

  

 わが国で通称ベニヤ板とよばれている普通合板が始めて紹介されたのは明治27年(1894年)諏訪鹿三が米国シカゴ博覧会に出品されたベニヤ広板を持ち帰り、大日本山林会総会に披露した時である。その後、明治40年(1907年)名古屋の浅野木工所の浅野吉次郎氏が1.06mのロータリー機を完成し、ベニヤ板を作りはじめたとされている。このように、スライスド単板はロータリー単板よりも早くから作られたが、ロータリー機の完成によって幅の広いものができるようになったことが刺激となって、スライスド単板も順次大きなものができるようになった。ただ、普通合板はベニヤチェスト(茶箱)を主体として発達してきたのに対し、スライスド単板、ツキ板は家具から発展してきた点が趣を異にしている。